子どもに障害があると診断されて、不安にならない人なんていませんよね。
私も娘が障害児だと言われたときは、そんな訳ない!なんでうちの子が…と、目の前真っ暗という感じでした。
私の娘は現在7歳の小学一年生。支援学級と交流級を行ったり来たりして学校生活を送っています。娘が広汎性発達障害と診断されたのは、3歳の誕生日目前のことでした。
診断されてから現在まで、私なりに娘のことを考えて行動してきたつもりです。
それが良かったのかはわからないけど、3歳の時とは比べ物にならないほど成長してくれました!会話もできるし、お兄ちゃんとも仲良しです。
娘が広汎性発達障害と診断されるまで、そして診断されてから療育をスタートさせるまでの経緯を振り返ります。
目次
よく寝るおとなしい赤ちゃんだった
二人目の子どもとして生まれた娘は、ミルクをよく飲みよく寝る楽ちんな赤ちゃんでした。2歳のわんぱくなお兄ちゃんがそばで騒いでいても、グーグー寝ていて起きる気配なし。二人目の子はさすが図太いな~と、のんきに旦那と感心しておりました。
初めて発した言葉は8ヶ月ぐらいだったかな、「ママ」「おいしい」など、至って普通の赤ちゃん。目線も合うし、あやすと笑うし怪しい点は見当たらない。
発達面で気になってきたのは10ヶ月で上の子は伝い歩きしてたのに、娘はまだハイハイもしてなかったし、お座りできたのも平均より遅かったです。でも子どもの成長には個人差あるし、この時点では全く気にしていませんでした。
身体面では遅かったけど、ハイハイ→つかまり立ち→つたい歩きと順調にできるようにはなりました。
意を決して発達支援センターへ相談
ん?やっぱりなんかおかしいぞ…と感じ始めたのは2歳を過ぎたころからでした。
徐々に周りとの違いに気づき始めた2歳
2歳過ぎても言葉は相変わらず増えなくて、さすがに心配になってきました。
女の子って喋るの上手な子多いじゃないですか。
当時同じ月齢の女の子を持つママと、親子でたまに会っていたのですが、まあよく喋る!簡単な会話が成り立っている!
会うたびに言葉が増えていて、すごいね~上手にお話しできるね~とお世辞じゃなくて本当、感心させられっぱなしで。
内心、なんでうちの子は言葉が増えないんだろうとは思ってたけどね。
その子の発達が早すぎなのではなくて、娘が遅すぎだったようです。
2歳半で電話相談
専門機関に相談するなら2歳半まで待とうと決めていました。
理由は、
- ネットで調べたら、3歳から普通に喋り出したケース多数
- 実際上の子が2歳半から急に喋り出した
- 早すぎても障害かどうか分からない
と思ったからです。早く相談して結局わからないんじゃ意味がないと思ったので。
市の広報誌に載っている”子どもの発達相談窓口”の連絡先は、もうリサーチ済み。
でも、いざコンタクトをとるとなると緊張しました。
電話窓口で子どもの今の状態について聞かれ、その後面談の予約という流れだったのですが、
面談日がなんと3ヶ月先!
そんなに待たされると思いませんでした。こっちは今すぐにでも助けてほしいのに。
面談日までの間は、ネットでひたすら「発達障害」「2語文出ない」みたいなワードを調べては読み漁っていましたね。何もせずに待っているということがどうしてもできなくって。
そしてやっと訪れた面談日当日。やはり月齢より相当遅れているということが検査しなくても明白だったようでその日のうちに、
- 市がやっている集団療育への参加
- 受給者証があれば療育が受けられる
- 民間の集団・個別療育の案内
- 発達検査ができる小児神経科の案内
などなど、一つ一つ説明していただきました。まだこの時はようやく娘のトレーニング(療育)が始められる。これでみんなに追いつけるかも!
なんて思ってました。
3歳で広汎性発達障害と診断される
小児神経科を受診する理由は、療育を受けるにあたって「診断名」が必要だったからです。普通の小児科ではなく、発達検査ができる小児科は私の住んでいる市にはなく、隣の市まで行かなければなりませんでした。
さっそく予約の電話を入れるも、今度も1ヶ月待ち。一刻も早く療育というものを受けさせたかったのに、ここでまた足止めをくらいます。
あと2ヶ月で3歳になるのに、やっぱり現状は変わらない…この時期は
- 宇宙人のような独り言をつぶやきながら一人で遊ぶ
- 簡単な質問もYES・NOで答えられない
- 絵本を読み聞かせても聞いてもらえずページをめくるのに夢中
ってな感じで、とにかく自分の世界にいて人の話を聞かない(入ってこない)娘の育児にほとほとうんざりしていました。
そして小児神経科の初診日に案の定、広汎性発達障害と診断されました。
この時はもちろんショックで泣きそうでしたが、それよりも
ああ、娘が発達しないのは私の育て方のせいじゃなかった、やっぱり障害があったんだ。これで支援が受けられるという安心感でした。
3歳を目前にして療育がスタート
もう言われたことなんでもやってみよう!と決めて、4月からは市の集団療育、診断された6月から民間の集団療育の両方を始めました。
市の集団療育は1年間で10組の親子と5名のスタッフで遊びながら子どもの成長を目指すといったもの。ここで療育ママさんと仲良くなれるといいなーと思っていましたが、全くできずでした。
10組中9人が男の子で障害の特性もバラバラだったし、娘を見てるだけで余裕なしだったからなのかもしれません。もう1カ所は民間の集団療育で、こちらは子どもだけの少人数グループでの療育。療育中は別室のモニターで様子を見ることもできて安心でした。
幼稚園や保育園に上がる前に身につけておきたい、自分の席から離れないことや、名前を呼ばれたら返事をするなど集団生活で大事なことを教えてくれて、だいぶ役に立っていたと思います。
その後4歳からの就園先を考える時も、今のこの娘なら集団生活やっていけるかもと思えたから行かせておいて良かったなあと。
なにより療育中娘から離れられて一息つけることが、私にとっても必要な時間だったんだと
感じましたね!
1人で悩まないで。発達障害かもと思ったら市の相談窓口へ
家族やママ友に子どもの悩みを相談して「大丈夫だよ!そのぐらい普通!そのうち喋るようになるよ」みたいに返されると、一瞬ほっとしますが根本的な解決にはなっていませんよね。
わが子に感じる違和感は、そばで見ているママが一番敏感に感じとれるはず。
子どもがなかなかしゃべらない、話しかけても反応がないなど不安なことがあったら、早めに市の相談窓口に問い合わせてみましょう。
相談窓口にコンタクトをとれば、私の市では相談支援の予約につなげてくれました。
3歳で相談支援を始めて受けて現在娘は7歳ですが、毎年相談に乗ってもらっているので、心強い場所となっています。
私の娘も早くから療育を始めた成果があったからか、保育園、幼稚園、小学校へと支援を受けながらですがみんなと同じように元気に通うことができています。
今子育てが辛くてしんどい人にも、
今のしんどい状態は永遠じゃないよ、子どもはゆっくりでも必ず成長するからもうちょっと待ってあげて!
右も左も分からなかった4年前の自分にも声を大にして伝えたいです。